備中地方の風土

蔵のある備中地域(岡山県中西部)の高梁市成羽町(たかはししなりわちょう)は小高い山々が連なる吉備高原の山あいにあります。 町の真中を県下三大河川の高梁川の支流、成羽川が流れ、周囲を山々に取り囲まれた山紫水明の風土を持っています。 又、300年の伝統を誇る成羽愛宕大花火や、無形文化財の備中神楽(びっちゅうかぐら)、地質学的に有名な動植物化石べんがら(赤色の顔料)で栄えた旧い町並みなど多くの史跡、文化が息づいており歴史と伝統が色濃く残る町となっています。 町の周囲の山々には酒造りの季節になると雲海が降り始めます。

岡山県高梁市の位置

酒造りについて

大典白菊をつくるお米について
岡山県は気候風土に恵まれ、品質の良い米が安定して収穫されます。 全国の90%以上の生産量と高品質を誇る特産の酒造好適米「雄町」をはじめ、全国生産量第2位と高品質の「山田錦」、そして岡山特産の一般米「朝日米」は食用米としてだけではなく酒造用にも大変優れたお米です。これらのお米は直接現地に赴き、圃場を見、生産者の農家と対話し、品質の良いお米を吟味して使用しています。
また、酒米へのこだわりとして当蔵独自の酒米「造酒錦(みきにしき)」や、酒銘と同じ名前の「白菊」を復活させ酒造りに用いています。
高梁川の支流成羽川は上流部に壮大な石灰岩大地が広がっています。この大地から湧き出る豊富で清冽な伏流水は酒造りに必要なミネラル分をバランスよく含み、この水を自社井戸で汲み上げ仕込みをはじめ蔵水として使用しています。
大典白菊をつくる水について
大典白菊をつくる杜氏の技について
岡山の杜氏集団は、県南の寄島地区の寄島杜氏と地元成羽地区の成羽杜氏を総称して「備中杜氏」呼んでいます。杜氏組合が結成されてから100年以上の歴史と伝統を誇る杜氏集団です。当蔵は備中杜氏のふるさとの一つである成羽杜氏の技で醸し続けています。

「酒米王国」岡山の米について

米について 原料用米のイメージ 原料用米のイメージ

白菊酒造で使用している原料用米は、全量岡山県産米です。岡山県特産の酒米「雄町」(おまち)をはじめ、酒米の王様とも称される「山田錦」、酒米のなかで作付面積が最も多く優れた品質の「五百万石」。これらの高品質な酒米が一つの県の中で手に入れられるのは岡山県ならでは。まさに酒米王国といっても過言ではありません。また、「朝日」「アケボノ」などは一般米の品種ですが食用米としてだけでなく酒造用としても大変優れており、粒が大きくさらりとした食味と旨味のある岡山ならではの米として古くから酒造に使用しています。そして酒米へのこだわりから10年の歳月をかけて復活させた「造酒錦(みきにしき)」と、「白菊」。この2種類の米は当蔵独自の酒米で恐らく世界でもここだけにしかない米です。これらのお米を用いて個性豊かで芳醇なお酒を醸しております。

山田錦

山田綿のイメージ 山田綿のイメージ

山田錦は大正12年(1923年)兵庫県立農事試験場において「山田穂(やまだほ)」を母に、「短稈渡舟(たんかんわたりぶね)」を父として人工交配を行い、選抜固定の後、山渡50-7の系統名がつけられ、心白量、耐病性、収量等について、他品種との比較試験を行い、その結果、他のどの品種よりも優れた性質をもつことが確認され、昭和11年(1936年)に「山田錦」と命名されて兵庫県の奨励品種となって以来、全国的にも酒米といえば山田錦がまず第一に上げられます。当蔵では岡山県産の高品質な山田綿を吟味して使用しています。

雄町

雄町のイメージ1 雄町のイメージ2

安政6年(1859年)岡山県上道郡高島村大字雄町(現岡山市雄町)岸本甚造氏が伯耆大山(鳥取県)に参拝した折、変わり穂を見つけ持ち帰ったという事が始まりといわれ、慶應2年(1866年)にはこの新種に「二本草」が名付けられました。その後、雄町(現岡山市中区雄町)をはじめ県南部一帯で栽培され、米の名前もいつしか雄町の名をとり「雄町米」と呼ばるようになったそうです。そして、明治21年には最北部を除く岡山県下全域に普及し、明治41年には岡山県の奨励品種に採用されている。しかしながら食用米の確保に主力がそそがれるようになったこと、栽培の難しさなどから次第に生産量が減り、全国の酒造家に渇望されながら入手できなくなったことから“まぼろしの米”と言われるようになったのです。現在では生産量も増加し全国生産量の9割以上が岡山で作られています。雄町は醸造用の米として大粒で心白が大きく酒質も優れており、その評価は極めて高まりました。各地の酒造家から「岡山県産の雄町」が酒米に最高の品質と賞賛されその優秀性から各地で交配種として使用され、山田錦、五百万石等の、優良品種を数多く作り出しています。

朝日米

山田綿のイメージ1 山田綿のイメージ2

朝日米といえば岡山といわれるほどの岡山県を代表する米で、その歴史は古くやや複雑な名前の変遷等を経て岡山に根付いた品種です。明治41年に京都府向日町物集女(現在向日市)で「日ノ出」栽培中に変種を発見し、それを育て日ノ出にちなんで「朝日」と命名された。当時すでに「朝日」と呼ぶ品種が京都府丹後地方に広く栽培されていたので、京都府農業試験場で明治44年に「旭」と改名。その後岡山県農業試験場でも旭を取り寄せ、品種比較試験を行い大正14 年2月に奨励品種に決定された。そのころ、岡山県ではすでに「旭」の名称の品種が別に存在しており、「京都旭」との混同を避けるため、「朝日」の文字が用いられました。さらに純系淘汰試験を行い、在来の朝日より収量が多く、腹白がなく、背丈の短い「朝日47号」を分離選出した。そして、この新系統が昭和6年より増殖され、これが現在の岡山の朝日となっており、奨励品種に採用され食米としても酒造用米としても高く評価され現在に至っています。当蔵では昔から酒米として使用しています。

水について

水について

水、自然、地質

成羽川河岸
岡山県には、中国山地を水源とした高梁川、旭川、吉井川の三大河川が流れており、県内各地を潤しながら瀬戸内海に注いでいます。当蔵のある高梁(たかはし)川水系の中流域、成羽町は町の真中を成羽川が流れています。町名の語源とされる「鳴輪」「鳴波」は小さな支流が合流する場所として水が鳴り合うようすからとも言われており、水量豊かな様子が見て取れます。
石灰岩の侵食による川床
地質的には中生代三畳紀の地層が見られ2億年前の示準化石であるシダ類と貝化石で世界的に有名です。又、石灰岩層が広範囲に広がり、垂直に切立つ石灰岩の岩山や美しい鍾乳洞が点在しています。それらの地層をへて湧き出す水はミネラルバランスの良い仕込水となります。成羽の自然が恵んでくれる豊かな水を自社井戸より汲み出して酒造りに使用しています。

水のある風景

石灰岩の絶壁
ほぼ垂直に川岸から立ち上がっている石灰岩の絶壁が連なる成羽川中流付近。フリークライマー格好の場所となっています。


支流の白谷(しらたに)川
成羽川に流れ込む支流は幾つもありますがそのうちの一つ白谷川の清流。小さな滝(布洗いの滝)があり、滝のまわりの自然の紅葉に囲まれた美しい渓谷となっています。古くには町の人々の夏の涼を求めた場所となっていたそうです。

杜氏について

備中杜氏(びっちゅうとうじ)その歴史

杜氏 三宅祐治
当酒蔵の杜氏は備中杜氏でありその技を伝承した日本酒造りを行っております。地の米、地の水、地の技が三位一体となった酒造りこそ土地に根ざした日本酒と考え、酒造りに最良の環境の中で伝統の技を磨き、美味しい酒造りへ日々精進しています。


備中杜氏
備中杜氏の備中とは岡山県の西部地域を占める旧国名であり、特にその南西部地域において杜氏出身者が集中しています。岡山県内の杜氏をはじめとする酒造技能者はほぼこの地域に限られているため備中杜氏の名がついています。又、この地方では杜氏のことを「おやっつあん」と呼んでいます。

備中杜氏歴史

歴 史
歴史的には文化年間(1804~1817)に"備中杜氏"の名前が確立されたと言われており、後、酒造業の隆盛と共に徐々に杜氏の人数も増加して行き、明治32年には備中杜氏組合が設立されました。そして明治40年第1回全国清酒品評会(全国新酒鑑評会の前身)において岡山の酒が優等賞で入賞し全国的に備中杜氏の技術の優秀性が知らしめられたのです。大正13年には500名以上もの備中杜氏が活躍していました。
成羽杜氏組合
当蔵のある備中、成羽地方は備中杜氏のふるさとの一つで、杜氏数はかなり少なくなりましたが今も成羽杜氏組合があり、少数の杜氏が伝統の技で醸しています。毎年新酒の時期には各蔵の杜氏が新酒を持ち寄りきき酒とその年の造りについての研究会を行っています。

蔵のあゆみ

蔵のあゆみのタイムライン
蔵の創業
明治19年(西暦1886年)備中国川上郡成羽村にて渡辺廣太郎により創業。「白菊」を醸造しておりました。 言い伝えでは創業以前より町内の別の場所で既に酒造りをしていたらしいとの事です。 残念ながら当時の記録がほとんど残っていないため史実を確認することが出来ませんがしかしながら、 その頃の成羽は高瀬舟の往来と近隣の物資の集積地として大いに賑わっており、町内には当蔵を含め三軒の造り酒屋があったそうです。時代を経て昭和3年(西暦1928年)昭和天皇の御大典の年、銘柄に「大典」を付し「大典白菊」としました。
蔵の移転
昭和25年に渡辺酒造本店へ改組しております。その後昭和46年までは明治蔵、恵比寿蔵と呼んでいた2つの蔵で酒造りを続けておりましたが、翌47年に集中豪雨によって成羽町全体が水没するという未曾有の大洪水が発生した為、明治、恵比寿の両蔵が水没。使用不能となってしまったのです。 そこで新しい蔵を興し、いち早く酒造を再開する為に同町内の現在地(日名地区)に移転が決定され、早くも翌昭和48年には設備の整った新蔵が完成しました。 同時に企業合同をすすめ、成羽大関酒造株式会社に改組し新たな出発を果たしました。
成羽大関酒造から白菊酒造へ
創業120年を経た平成19年4月より社名を「白菊酒造株式会社」に改めました。明治の創業から昭和48年の蔵移転を経て、幾多の山坂を越えてまいりましたが岡山、備中の地酒「大典白菊」の日本酒造りにさらに磨きをかけ、皆様により美味しいお酒をお届けしていきたいと思っております。 伝統ある備中杜氏の技の伝承による手造りの良さを大切にし、かつ最新の設備、機器等の導入も積極的に行い、 新旧の酒造技術の融和した理想的な酒造りを目指してまいります。

大典白菊について

大典白菊のイメージ

酒銘の白菊は日本酒が最も円熟する秋、日本を代表する花「白菊」にちなんで命名しました。「大典」は昭和天皇ご大典の年、全国品評会で優等賞を頂いた記念として冠しました。

岡山県は瀬戸内の穏やかな気候により古くから稲作が行われ瀬戸の海の幸、吉備高原の山の幸に恵まれた好条件が、人が住み暮らせる快適な場所として栄えてきました。 この気候風土に育まれた土地の酒は口当たりが柔らかく、お米の旨味や甘味がしっかりとした「うま口」と言われるお酒が好まれてきました。 当蔵のお酒はこの地の酒として伝統的な「うま口」の味わいを大切にしながら、バランスが良く、キレの良さを持ったお酒です。 また、岡山特産の酒米を中心に、自社で復活させた独自の酒米など米にこだわり、清冽で豊かな仕込み水、そして伝統の備中杜氏の技といった、酒造りに恵まれた岡山の良さを大切に醸しております。